1984年のウチの箱庭の様子

ということで始めました、ウイニングポスト7-2012。
レースが3D化された点は、本スレなどではレースが飛ばせないことなどで不満が上がったりしていますが、概ね評価しています。

コンシューマー版よりグラフィックが劣るらしいんですが、まぁ仕方ない面はあるかな、と。
PC版は音楽を差し替えられる点を考えれば、ボクはコンシューマーでやる気はないですね。
特に、本馬場入場のときの、スーパー競馬で昔使われていた本馬場入場曲に差し替えて実況付きで聞いたときのテンションの上がり具合はヤバいですね。燃えてきます。


さて、まずウチのエース的存在になる予定だった、ニシノライデンの話から。
1年間を総括すると、ニシノライデンってこんなに走ってくれなかったっけ?って感じです。

詳しく見ていきましょう。
まず、1月4週の京都芝1600mの新馬戦でデビュー勝ちを収めた後、3月1週の阪神芝2200mのOP特別「すみれS」に出走し5着。
まぁもともと成長が「遅め」であるライデンですから、そんなに焦る必要はないよなぁと、その春の目標を京都新聞杯に切り替え、4月1週の500万条件特別、阪神芝2400mの「アザレア賞」に出走しました。
適距離だったし、相手も架空馬ばかりだったので、勝てるだろうとタカをくくっていたらまさかの4着。
結局、500万条件も突破できない馬に、いくら特性「GⅡ横綱」持ちといえども京都新聞杯は荷が重かったようで、春の目標は達成できず、日本ダービー出走の夢も潰え、ライデンの3歳春は終わりました。

M2008だと、相手関係にもよりますが、ライデンなら京都新聞杯はだいたい勝てた気がします。
モードBのせいもあるかもしれませんが、2012は忠実期間の架空馬が本当に強い。これは、実は今作の大きな変更点なのかも知れませんね。


さて、白嶺が評価額の2倍で幼駒を買っていってくれるイベントを無事消化し、その余剰金を使ってプレジデントシチーを購入したころ、ちょうど2歳イズミスターもデビューします。
2012年のレース体系から、2歳新馬戦がダービーの翌週からになりましたが、イズミスターはその週に早々にデビュー。函館芝1200mの新馬戦に出走し、勝ち名乗りを上げます。
この時期は出走できるレースが少ないので、相手関係を見つつ、できるだけ手薄そうなレースを選択して好走を期待します。
函館2歳S→ダリア賞→新潟2歳Sと転戦し、4着→2着→3着。掲示板に乗って賞金を稼ぎながらも、本賞金は積まない馬主孝行っぷりに思わず頰がほころびます。


国内セリで当歳のサンキンハヤテを1億2000万で競り落とした頃、一度放牧を挟んだニシノライデンが復帰。500万→1000万と連勝で神戸新聞杯に臨みたいところでしたが、残念ながら最初の500万条件、函館芝2600mの横津岳特別でクビ差の2着に終わり、ローテーションを組み替え、8月の札幌の500万条件を勝ちましたが、夏競馬では500万を突破するのがやっと。なかなか波に乗れません。

そんな状態で抽選のラスト1枠に滑り込んで出走した神戸新聞杯(GⅡ)、ニシノライデンは道中から積極的な競馬を展開し、ダービー2着の架空馬とゴールドウェイに次ぐ3着に入り、なんとかギリギリで菊花賞への優先出走権をゲット。
そして臨んだ菊花賞シンボリルドルフが圧倒的な強さで3冠を達成したゴール板を3番目で駆け抜けていってくれました。
このグレードレース連続3着で覚醒したのか、ニシノライデンは本格化。その後1000万条件、1600万条件のレースを連勝し、晴れてOP入りして1984年を終えました。


さて、新潟2歳Sを3着した後、放牧に出ていたイズミスター。これが10月4週京都1400mの500万条件「かえで賞」で復帰、楽勝し、向かったのは11月2週の京王杯2歳S。ここでいいレースが出来るようなら、暮れの2歳GⅠ朝日杯2歳Sが見えてきます。しかし結果は4着。パワーBに成長はしているものの、坂のある競馬場ではイマイチっぷりを存分に発揮してくれまして、朝日杯を回避し、年明けのシンザン記念に向かうことで手を打ちました。


そんな1984年でした。